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5/28(土) 「憶測」について考える( ´~`)

記事を書いた人:Dachimae あとで読む


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どうも、だちまえです(^-^)v
今週は何かとアーケードの記事を更新し続けてきましたが、その裏ではGoogleアドセンスの審査に熱中しておりましたv( ̄Д ̄)v
 
携帯片手にずっとGmailを更新し続けた今週はと言えば、こんな状態でした(ФωФ)
 
先週の木曜日:コンテンツの不足(二次審査)
今週の火曜日:コンテンツの不足(二次審査)
今日(金曜日):二次審査結果待ち!
 
結果が待ち遠しいぞー!(o´ω`)ノ
そんなことを思いつつアドセンス対策をしていると、人によって対策は様々なんだなと知ることになりました。
 
例えば1記事あたりの文字数に対する注意について、ある記事では「500文字以上書いてみよう」とあり、別の記事では「700文字以上書いてみよう」とあります。
場合によってはブログに本気なところでは、「2,000文字以上書いてみよう!」と桁の異なる情報を見たときはビックリしました(;´゚д゚)ゞ
(ビックリしたあと結局、記事は内容がメインかなと思い、僕のブログは2,000文字以上書いていくことにしましたが)
 
こう言った情報はそれぞれの認識でことなると思いますが、情報によっては憶測を呼び、各々が何を信じたら良いか分からなくなってくるかもしれません。
 
こう言った憶測がどのように生まれるのか、そして、憶測をどう対処すれば良いのかを自分なりに考えてみました(^-^)v

 

1、憶測の生まれかた

憶測と一般に辞書で調べてみると、こんな結果が出てきます。
 
おくそく【臆測・憶測】
《名・ス他》いいかげんな推測をすること。あて推量。

例えばイメージだけで導こうとした結論や、真に受けた噂話から飛躍するイメージのことを「憶測」と言う訳ですが、その憶測も生まれるに至った原因が必ず何処かにあるわけです。

丁度良いのでGoogleアドセンスの審査基準に関する憶測を例に挙げてみます。
 
Aさんは「500文字以上の記事を何個か作ってアドセンスの審査を通過した」と語ったところ、
Bさんは「700文字以上の記事を何個か作ってアドセンスの審査を通過した」と語っています。
現状判断できるのは二人とも通過したと言う事実だけですが、この二人がそのことをまとめた記事を読む人と言えば、恐らく「アドセンスの審査に通過したい人」だと思います。
 
ニーズに対する供給と考えれば、そうなると思います。
そうなると、人は心のどこかで正解を求めたがる存在。何が正解なんだろうと模索していくなかで、答えが定まる前に人の間で独りでに広まっていった考えが「憶測」だと僕は考えています。
 
つまり、「憶測」とは人の間で渡り歩くにつれ、真実味を帯びていったただの「推測」、「イメージ」かなと言うのが僕なりの考えです。
 

2、なぜ人は憶測を信じるのか

人は根拠の無いことを疑うにも関わらず、何故人は憶測に根拠を見いだそうとするのか?
そんな疑問に行き着くかもしれません。
 
先程上記の項目で「ニーズに対する供給」、と言う言葉を使いましたが、一般的に人が信じると言われている情報は、その人が求める情報であると言われているからです。
 
例えば「アドセンスの審査を通過したい!」と言う人が居ます。(僕のことですが(^-^;)
その人がまず情報を求めるは、恐らくネット。ネットほど現社会で情報の飛び交うものは無いのではとすら思えてしまいますが、それ故に情報を求める人はそこに大体行き着きます。
 
ただ情報の量に反して、具体的な根拠のある情報の判断方法が分からない。
そんなとき人が信じるのは根拠の数。「成功事例」の多い情報ほど「当たり前」のように思え、自分も試してみようと思うなかで、憶測が真実味を増していき、人は信じるのではないかと思います。
 

3、僕の思う現代の「憶測」

話は少々脱線しますが、例えば「男性がサラリーマンとして生き、女性は主婦として生活することが安定している」と言う価値観を25年も生きていると当たり前のように思える瞬間があります。
心暖まる、将来的にも良さそうで、普遍的で。
 
ただ、こんな風景を「当たり前だ」と信じるようになったのは、何時のことだろう?と考えてみると、それなりに面白ことに気付きます。
 
結婚した夫婦の何が当たり前で、何処に幸せになれる根拠を見いだせば良いのだろうか、と。
 
夫婦は喧嘩もするし、家族が増えれば消費も増える。自分への理解を相手に求めることで、トラブルが増える原因にもなるでしょう。
 
そう、あくまでイメージなのです。
つまりは、一般的な人の考える「憶測」だとも言えると思います。
 
他にも「金持ちはイヤらしい」と人は語り、それが日本国内で金持ちが嫌われる原因となっていますが、僕は「何故自力で金持ちになりたいと考えないのだろう?」と思ってしまいます(^-^;
僕はどちらかと言えば、「金がないと趣味に勤しむこともできず、友人も出来ずに幸せではなくなる」と考えるリアリストであり、人々に嫌われる対象でしょう。
現実的に人に恵まれ、遊び尽くせる人生の方が幸せではないでしょうか?
 
そう考えると現代社会は、人々が幸せであれると信じた「憶測」の上に成り立っているとも言えなくも無いと僕は思っています。
 

4、「憶測」と「正解」の区別方法

ここから先の判断方法はこの記事を読まれている方々各々の心境に左右されます。
 
上記に挙げた「憶測」を当たり前と思うか、
自分で「真実」を模索したいと考えるか。
 
なんせ先に述べておくと、「正解」何てものはありません。ここで語る「正解」とは、あくまで正解に限りなく近いものに過ぎません。
 
それでも自分としての正解を見つけたい場合、手っ取り早い方法があります。
 
試すことです。
 
正解とは結局、情報や世論に左右されなかった人が辿り着ける結果であり、ひとつの終着点だと思います。
例えブログを書く本人にとっての正解も、それを読む人が「そうなんだ」と信じてしまって終わるなら、それは結局のところ「憶測」であり「イメージ」だと言えなくもないでしょう。
 
それ故、自分の体験した事例こそ一番の「正解」として伝えていけるのではないかと考えております(^-^)v
 
ただし、語る側にも注意が必要です。
それは、決して正解を押し付けないこと。
 
あくまでアドバイスとして伝えていかないことには、「厚かましい」と相手の実践の想いを奪い、自分の体験談を伝えていくこと自体が無意味になってしまいます(*T^T)
 
以上、自分の「憶測」についてたくさん語りましたが、読者の皆様の参考になれば幸いです♪ 
 
それでは(^_^)/~~

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