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まえを向いてテンパろう!

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怒る人の多くは「かまってちゃん」に該当する!?

記事を書いた人:Dachimae あとで読む

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どうも、だちまえです(*´∇`)ノ

この前、別に怒らなくていい所で久しぶりに怒ってしまい、ちょっとシュンとしてます( ´-ω-)

 

怒ると言う行動自体、後味も悪ければ自分もエゴしか語らない。

相手のことを考えると、あまり良くない行動かなと僕は思っています(^-^;

 

もっと言えば、相手に自分のエゴや主張を通さんがばかりに躍起になるのは「かまってちゃん」と同じじゃないかなとこの頃思うのです。

 

今回は、自分自身への注意を含め、折角の体験を記事に出来ればと思います(^-^)/

 

 

 

 

○子供の「駄々」と大人の「分かって欲しい」は根本的には一緒

 

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今回、らしくもなく怒ったケースと言うのは、自分の会社の二年上の先輩に対してでした。客先に納品する製品が上手く出来上がらなかったらしく、納期に問題が生じたそうです。

理由は色々あったのですが、結果的に営業さんや上司から色々と、その先輩はクドクド言われたそうで(^-^;

その後、その先輩から愚痴が絶えず、その愚痴る相手として僕に関わってきた時の話です。

 

その先輩が「納期的に無理だった」「営業がもっと納期を伸ばしてくれれば」と延々と語ってきて、しまいに「俺の話を聞け」と言われたので。

「自分がどうしたかは自分が一番よく分かっているはず。意見を求めるわけでもなく、「分かって欲しい」と求めるだけで、何か回答が出るのですか?」と、反論してしまったのです(*T^T)

 

自分としては、思ったことを口にはしました。

が、後味はやっぱり悪いです(-_-)

 

僕は基本的に、「分かって欲しい」と言って関わったり、関わられたりするのは好きではありません。

批判や怒鳴られたりする場合も同じだったりします。

 

その理由は簡単。

自分がどうしたいかは自分しか分からないからこそ、それを相手に押し付けたり、自分の正当性を認めさせたりするのは、何の解決策にも繋がらないと分かっているからです(/--)/

 

今回のケースもそうですが、「分かって欲しい」、「聞いてくれ」と言う言葉は、自分の正当性を相手に求めているだけであり、そこに理由や具体性は無いと思います。

理由もなく自分の行動を肯定させたがること自体、やっていることは子供の「駄々」と同じように僕には見えてしまうのです(^-^;

 

○「反発」は自分の「不安」や「嫉妬」などの現れ

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たまたまとある参考書で読んだことなのですが、人が怒ってでも意見を通そうとするのは、大体相手に対する嫉妬や不安などが原因なのだそうです。

 

例えば、自分の子供が急にアイドルになりたいと言って、それに反発する両親を考えてみると。

自分の子供が変な道に行かないようにと不安になったり、自分の生き方を子供に否定される嫉妬感が生まれたりして、「何を言い出すんだ」と怒ってしまうそうです。

実際に僕も両親と喧嘩した際にこれらに当てはまっていたのをよく覚えているので、「自分の不安を解消したくて相手をサンドバッグにして怒る」というのも恥ずかしくないか?と思ってからは、基本感情的にならなくなりました。

 

人に愚痴を聞いて欲しいと、駄々に無理矢理意見を付けて理屈っぽく語ろうとしますが、それは人が歩む道からそれることを拒んだだけのこと(゜゜;)\(--;)

 

自分がどうしたいかは一番よく分かっている筈です。

なら、それに沿って必要な手段を取っていくだけです☆

 

何を言われても安全安心で生きていたいなら、ストレスを溜めてでも生きていくのが一番かもしれません。

が、危ない道を渡ってでも、自分の目指す生き方に必要な経験と実績を溜めていく方法もあるでしょう。

 

ですが、どのような手段を取ろうと、不安になったり、他人に嫉妬したからと言って、同じ意見を相手に求めたところで相手もどうしようもないと思います(^^;

 

○考えるべきは「世間の常識」ではなく「自分のやりたいこと」

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もし不安や嫉妬から解放されて、楽になりたいなら。

僕は「自分の心に問う」方法をおすすめ出来ればと思います。

 

僕が見てきた中で、誰かにかまって欲しいと語る人の多くは、自分の正当性や「認められている」という想いを人に求める場合が多いと思います。

僕はかつてそうでしたが、人に指摘されてからは「気持ち悪いな」と思って、考えを切り替えた過去があります。

むしろ、自分にしか分からない問題は、その方面の人に意見を求めるなどして、自力で答えを出していくしか無いと思います(+_+)

 

例えば僕の場合、社会人4年目にして会社での出来事がつまらなくなりましたと。

上司の理不尽な意見に耐え、先輩のプライドに無理矢理方向性を合わせ、責任ばかりを押し付け合う環境では「自分を見失う」と危惧した訳です。

 

それをどうにかしたければ、会社以外で意見を求めていくしかない。

そう思ってからはセミナーに行ったり、(今は辞めていますが)個人事業主的なこともやってみたり、失敗を繰り返しながら多くを学んできました。

 

その過程で大泣きするほどの後悔もありましたが、それまでの感動や経験、そして今の自分があるものそう言った経験を通して来たからでした。

そして、その時の「会社で40年間サラリーマンをやっていても給料は変わらないし、意地でも不労所得にこだわってやる」という思いが現在ブログで活きているわけで♪

 

これらの想いは全て、自分がそうしたかったから実行出来たことでもあります( ̄^ ̄)

 

これを世間の常識に合わせて生きていたならば、僕は一生駄々をこねながら生きていたことでしょう。

駄々をこねることは、多くの子供が大人になっても実はやっています。

 

駄々をこねる人は社会の常識に沿って生きてきたことを自慢して、なにもしない。

駄々をこねない人は自分のすべきことを理解してそのために動き、自分の行動に責任を持つからこそ愚痴らない。

根本的な違いはここにあると思います。

 

○まとめ:分かっているならすべきことをしよう

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愚痴に意見すると、喧嘩を売られたと勘違いした人の多くは「分かっている」と言うでしょう。

なのに、理解して欲しいことを延々と語り続けます。

 

僕もかつて恩人に言われたのは、「分かっているならやれば?」と言うこと。

 

やるべきことが分かっているなら、必然的に必要な結果は得られるでしょうし、

分かっていなければ、何をすべきか分からないまま延々と同じ不満を考えて生きることでしょう。

 

その答えは自分にしか分かりませんし、立場の異なる相手に同情を求めるのも違うかなと僕は思います(^^;

 

分かっているならまず行動しよう。

その行動が続くなら、他人に頼ってばかりのかまってちゃんを卒業出来たと言えるでしょう。

 

ではでは(^_^)/~~

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