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大人のADHDとは?発達障害の現実と現代社会の勘違い

記事を書いた人:Dachimae あとで読む
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どうも、だちまえ(@dashchan8318)です。

ちょこっとカチンときてます。

 

世には落ち着きの無く、多動な人をADHD(注意欠如多動性障害)と呼び、発達「障害」だとして病人扱いされるケースが多々ありますが。

ぼくだってADHD発達障害だとよく言われ、その意味を知っているからこそ「そうだよ?」と否定するつもりも一切ありません。

 

が、

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だちまえ

それ、サラリーマンとして不適切だと言いたいだけでしょ?

 

ってだけな気がしています。

いじめて面白がるために病気扱いされるのは、さすがにこっちだってムカつきます。はい。

 

実のところ、副業の流れが盛んな現代において、時代に最も適合できる確立が高いのがADHDの人たちなんです。

にも関わらず、「一箇所に留まってがんばるのが正しい大人」と考えるせいで、無意識にそうした多動な人格を「障害だ!病気だ!」と嫌ってはいませんか?

 

そうした勘違いを正せるよう、今回の記事を作成してみました。

そもそもADHD発達障害って何?

そもそもADHD発達障害をざっくり説明するとこうなります。

参考:大人の発達障害 : 発達障害とは - 株式会社Kaien

 

何故「障害」と言われてしまうのか

ここでは個人的な意見も交えますが、そもそも「障害」と言われるのは、

一般的な社会人、特にサラリーマンを基準とした時の落ち着き具合、コミュニケーション能力、社交性が劣るから、という話。

 

しかし、それは会社勤務のような立場に必要な能力の発達不測の話をしているだけで、

  • 個人、マイルールでの活動
  • PC作業などの内勤がメイン
  • 専門性が求められる分野

そうした内容の仕事にはとにかく強いのが、社会的に「障害者」だと否定される方々。

 

要は、サラリーマンのように会社に縛られないと強いんです。

仕事嫌だけどのけ者にもされたくない人たちほど、「障害者が~」ってすごく他人を批判するの好きだなってぼくだったら感じますが。

 

ADHDの人たちが強い分野・職業

じぶんがそう感じるように、発達障害だと言われる人たちには強い分野があります。

  1. 自分の関心が強い分野を掘り下げられる作業。
  2. 作業やルールが決まっている、反復性が強い作業。
  3. 自分の考えを即座に反映できる作業(個人事業、フリーランスなど)。

そうした分野から考えるに、ぼくはADHDな人ほど個人事業やフリーランス、もしくは社長にすごく向いている性格、人格だと考えています。

要は先ほども書いたように、会社に縛られなければ強いのです。

 

「障害」とは書いても内容はすごく普通の悩み

大人になって、

  • じっとしていられない
  • 一つのことに専念できない
  • 考えを1つにまとめられない

って言うのが問題だと語る社会人はとにかく多いですが。

 

ぼくも4年くらいサラリーマンをやっていて思うのは、

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だちまえ

ADHDで困るのって、会社員として生きるのが難しいってだけだよね?

と言うところです。

 

そもそも会社って、

  1. 「これやれ!」と仕事を制限されるから、色々考えるADHDの人たちには肩身が狭い。
  2. 「ここでやれ!」と言うポジションが会社には大体あるので、じっとすることにADHDの人たちは苦痛。
  3. 「これ優先しろ!」と優先順位を固定されるせいで、ADHDの人の自由な発想を制限してしまう。

と言う、「何も考えずに言うこと聞く人たちの集まり」によって作られた社会環境で。

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だちまえ

そもそもじぶんが障害者ではないって人たちでさえ、こういう注文めんどくさがってない?

そう考えると、ADHDの項目って全員が感じてるフツーのことじゃん。

とすごく感じるのです。

 

ADHDの何が問題か。それは会社員となった場合、肩身が狭くなるというだけ。

会社に適合できない人たちを勝手に社会が「障害」だと名付けただけです。

だから、決して社会に適合できていないわけではありません。

それを「あいつが仕事出来ないのは病気=障害だから」と決めつけた人たちの先入観が、そうした名前には含まれているんだとぼくは感じます。

 

ぼくが「ADHDは病気ではない」と言い切るのはそこで、個人で進められる仕事では、かれらこそが最大の力を発揮できます。

それを「会社で頑張れない人たちはみんな病気だ!」と言い張り、それを枠づけるために「障害」だと言いたがる人たちの考え方を、ぼくはかなり疑っています。

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だちまえ

第一、病気病気と否定する人が、真っ先にノイローゼのような精神「病」になっちゃってるんだから。

そっちは「大変だね」って言われるのに、発達「障害」は「気持ち悪い」ってなるのは何でだろうね。

ここばっかりは、この記事を読んだ全員に考えて頂きたい問題です。

 

まとめ:必要なのは「差別」ではなく「個人を見分ける力」

一般的に、ほとんどの人は人を好き嫌いで判別しますが。

じぶんにとって都合のいい人を好きになる、と言う考え方はぼくは大嫌いです。

 

本当に人を判別できる人は、そうした都合の善し悪しによる判別ではなく、個人の実力を見るものです。

それはスキルなのか、実績なのかは分かりません。

しかし、必ず言えるのは、そうした考えのもとに「差別」は決して存在せず、全員の努力次第で結果の変わる状況が作り出せます。

 

だからこそ、ADHDを言う名前を使い、相手を差別する人や組織、会社はもう古い。

そうした環境にあるのは現状維持の考えだけであり、個性をつぶしきった場所から「新しい発想」なんてものは作り出せません。

 

そうしたときほど、色々考える子供のような発想が必要ではないのでしょうか?

そうした考えがより、未来を彩っていくものなのです。

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