マエタビ-人生マジメにズル休み!-

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ねぇ、バカって生きたらいけないの?

記事を書いた人:Dachimae あとで読む
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まえ

まえ(@dashchan8318)です。久しぶりに感情的になって書いてみました。

最近、バイトをすこしでも減らそうと、高単価なセクションに応募し、やってみたのですが。

やはり世の中単価分を狙うと、その分気難しい人も増えちゃって。

それだけ誰かに「なんで給料分の成果を出さねぇんだ!」と怒られる率が高くなるわけで。

 

本気って何なのか。

給料分ってどれだけなのか。

不思議に思いつつも、そう言う場所に飛び込んだじぶんの責任で。

お金にこだわるとろくなことが無いとはこのことです。

 

そして、いくらその人が頑張ろうと、受け入れられようとして頑張っても。

結局その人に嫌われてれば、なにしてもミスが目立つ「要らない人間」にしか見られなくなる。

 

そうもなれば、不の連鎖の始まり始まり。

対応が違えば「何聞いてたの?」

勝手に動けば「勝手に動くな!」

分からなければ「お前はバカか?」

そのレッテルは、どこまでも延々と続いて続く。

 

そして、否定する側はそのうち思うのだろう。

こいつ、居なくなって欲しい

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先輩or上司

そうやって一度思われれば、その後は仕事を与えられず、徹底的に邪魔物扱いされる。

で、本当にいらない人間にされて、クビ。

消えて欲しい相手にしてみれば、これ以上スッキリいくことはないだろう。

 

でも、相手を排除しようとすればどうなるか、本当に立ち止まって欲しい。

その行いがどういう結末を招くか、真剣に向き合って欲しい。

 

相手が仕事をやめたとき、生活できると思っているのか。

相手が大好きで始めた仕事を、あなたは会社の命令なしに奪おうとしていないか。

あなたの言葉が、ひとつの命を奪うきっかけに繋がらないか。

 

「嫌いな相手が居るから」と、相手に必要以上の否定的な発言・行動をする人を見るたびに言いたくなる。

 

邪魔物は、邪魔物扱いしていい人なのか、と。

バカは、この世に生きてはいけないのか、と。

 

 「言葉の重み」が分かる人が心から増えて欲しい

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たとえばある朝、バイトに向けて朝5時に起きて。

1時間以上電車にゆられて。

その上で出勤すると、必ず先輩の「無視」から始まる1日を過ごしている。

 

そして、必ず1日に10回はこう言われる。

お前はバカか!今まで何を見てきたんだよ!

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先輩

ちなみにここで言ってもしょうがないことだけど、ぼくはその現場を経験するのが2回目で。まだ一通りのテンプレートしか教えてもらっていない。経験だってほぼない。

応用だとか、「上司が最適と考えるやりかた」なんて知っているわけでは無い。

(ぼくの不器用さもかなりのレベルだからぼくもぼくなのだけど)

それに、もし本当にぼくがそれだけの万能人間になれたらどれだけ幸せなことか。

 

おまけに、業務はそれぞれ個人でこなすので、具体的にはやりかたを教われず。

この先輩は基本無視するから教えない。

だけど、「お前はバカか!」が挨拶がわりになっている。

よほど先輩は、スラングな挨拶を交わすのがお好きらしい。

(もっとも、「お前はバカか!」と言うフレーズは、ぼくの元上司からパワハラを喰らった時に1年以上言われたので、トラウマとして言葉に過剰反応しているのもあるのだが)

 

もちろん、じぶんにも落ち度はある。

業務上の根本を間違えることがあるのは、反省すべきぼくのミスだ。

しかし、そのミスの大半は「先輩のやり方の好き嫌い」。

じぶんの好む好まないでミスだと捉えたことを「業務上のミス」だと置き換えるのは、本当にやってはいけないこと。

 

なぜかって?

じぶんの好き嫌いで発した安易な言葉が、相手の命ひとつを断つことは十分にありえるからだ。

言葉ひとつの重みは、それくらいに重い。

それを、この先輩は知らない。

 

そして、「お前バカか?」と言う言葉のおかげか。

  • バイト先で立場がなくなる
  • 頼れる先輩がいなくなる
  • 「なんでも失敗する」レッテルが流行する

これらのことが起こりまくり、結果的に何もしていないのに「居るだけ邪魔」と、バイトすら辞めるような状態を、先輩は見事に作り始めてくれる。

そんなわけでぼくは高い給料を諦め、とにかく全力で頑張れることが分かっている別部署への部署替えを会社にお願いした。

ホント、なんてやさしい先輩だろうか。

 

なぜバカが生きていけない社会が作られたのか

さて。

おそらくココまで読んだ半数以上が、半端者のバカ作者にこう言いたくなっているかもしれない。

一生に一度でいいから仕事を真面目にやれないの?

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読者

 

と。

確かに。当然だ。

人生なにかに甘えたまま生きていくのは不可能で。

じぶんからじぶんの価値を世に提供しないと、信頼も何も得られない。

ただ一方的に嫌われて終わる。

 

しかし、「真面目にやれよ」と言いたい人は、こうも考えて貰いたい。

 

もし本人が本当に真面目にやっていたとしたら、どうするのか?

 

じつはコレ、本当で。

9割の「不真面目認定」されるサラリーマンやフリーターは、良かれと思ってやったことが裏目に出ているにすぎない。

いくら失敗してるように見えて、本人たちは真面目にやっている。

だが、その努力を判断は、結局上司の好き嫌いに委ねられる。

そんな状況を知った上で、本音を回答して欲しい。

 

もしここで口を押さえるなら、あなたはまだ、相手の救いになれるかもしれない。

 

しかし、それでもなお、

なら君はこの仕事に合わないんだ。辞めるしかないね

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先輩

と思ったなら、その人は無意識に誰かの命を奪うようになっているかもしれない。

 

今回気づいて貰いたいのは、その場の気分でしゃべってしまう無責任さについてである。

 

確かに組織に追い出された人間は、じぶんの受け入れられる組織に入らないと、生きていくのは難しい。

ぼくだって、「組織がないなら作れ」と言う答えに行き着いている。そのための動きもしている時に、この記事を書いている。

なので、嫌われものの行き着く先は、きっと「組織やチームをじぶんで作ること」だろう。

 

しかしこの回答は、じつは極端で。

なんら会社の外に出る経験を持たなかった人が、いきなり自立するのは本当に難しい。

独立には、心を紙一枚の薄さまですり減らすような度胸が要る。

なのに、それを知らずに。

お前、もう要らないから出てけよ

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先輩

 

その一言がどういう意味を持つか。

今一度、考えて欲しい。

 

見た目重視と結果重視

一度話をそれると。

ぼくには上記のような経緯から、「道に迷った社会人に道を示し、その人なりのやり方での自立をバックアップする」と言う人生のミッションを持ってしまった。

 

何故作ろうと思ったか。

それは、受け入れられようとして受け入れられない社会人を、黙って見ていられなくなってしまったからだ。

 

なにせ今の世の中、「バカは徹底排除」の流れが生まれている。そんな浄化宗教の考えを持つ人が、全国の会社と言う組織に集中してしまった。

そのため、彼らの言う「バカ」が入社したら、火炎放射機で焼き払うとする勢いで彼らは追い詰めていく。

 

そのせいで、世間の言うバカに迫られる選択肢は、

  • 「理不尽な考えに耐え続けるか」
  • 「会社を辞めて無職(=地獄)を見るか」

の2つになってしまった。

 

「会社での生き方以外の可能性」を示せる第三者が登場しない限り、無実の人が会社組織の中で責められ続ける最悪の時代になってしまったのだ。

 

だから、そんな道を示せる一人として、じぶんが動くしかないと感じた。

幸い、ブログも自転車のように、「経験するだけ価値がある」代物だ。

そう言う道を少しでも、提供できればと考えるようになった。

 

正直思うに、今の社会は複雑になりすぎ、かつ、「見た目」がかなり重視されるようになってきた。

客先からの見られ方であり。

世間からの評判であり。

あるいはミスの少なさであり。

その「見た目」1つで、相手がミスしているかミスしていないかを判断されてしまって。

 

結局本人がどれだけのスキルを持っていようと、日本では上司や先輩の思惑に沿っているかどうかが、信頼されるされないのベースになってしまっている。

そんな「見た目重視」社会ができあがったせいか、昔勤務していた会社で変な現象を見てしまった。

 

前に勤めていた会社は食品系の会社ゆえ、清潔さを売りに「新しくお客さんを呼び込めるよう、会社内をキレイにしよう」という取り組みをしていた。

その取り組みはかなり行き届き、たしかに会社そのものはかなりキレイになった。

しかし、そのキレイさを実際に目にするのは既存のお客さんばかりで、肝心の新規顧客作りについては、社内風景をネットで伝えるなどの活動を一切していない。

この会社は新規顧客を勝ち取るより、もう何台も買っているお客さんへの「見られ方」を優先したのだ。

当然、ぼくがやめる前も、「キレイにしたのに顧客が増えない」と、社内では何度も話が持ち上がっていた。

 

 「ここでキレイな「見た目」ではなく、キレイにした「結果」をネット等で評価してもらおうとすれば、どれだけ顧客が増えたことか」

会社をやめるその瞬間まで、ぼくはそんなことを考えてしまったわけで。

 

何が言いたいかって、本当に何かしらの成果を出したいなら、見た目以上に成績や成果を考慮した方が早いのだ。

実際、ブログでも、過去にヤバイ実績を作った人のほうがドンドン成長している。

そして、実際に会ってみても全員優しく、独特ながらも、見た目はそこまですごいことをやっているようには見えない。

少しキチンと分析するだけで、成果>見た目、が成立しているのは丸分かりだ。

 

しかしながら、これだけの実績がありながら、日本の社会はいまだに「見た目重視」であり、過剰なまでに最高の見た目を世間に見せようとする。

そして何かをミスれば、一から十まで「今まで何やってきたの?」と何年間も責められる。

そして、この状況が「当たり前」として、ほとんどの人はその異常性に気付かない。

 

もう、こんな「見た目重視」は単なる異常状態なのだ。

 

そんな見た目重視の考え方が出来上がったせいで、日本社会にとっての「バカ」の居場所が無くなってしまったのである。

そして、「バカの駆除」は、はぼ国民全員の意見となってしまった。

なるほど。「バカ」とバカを怒鳴り、相手を否定し続ける上司が、同じことを感じる仲間たちに称賛されるわけだ。

これを異常と言わずして何なのだ。

 

だから、ぼくのような壮大でありつつ、ろくでもないミッションを持つ人間が生まれてしまったのだ。

 

さて、話を戻そう。

こうした「汚物は消毒」的な考え方のせいで、世間的にバカと言われる人の居場所はなくなってしまった。

しかし、バカと言うほうが、見た目重視のバックグラウンドや、相手がどう感じているかを考えない「バカ」ではないかと、ぼくは言い切ろう。

 

第一、相手を思惑通りに動かしたいなら、もっと効率的で、人道的な手段があると言うのに。

 

なぜ人は誉められると前向きに取り組めると分からないのか?

正直、ぼくは他人に対して怒鳴れない人間だ。

喧嘩したところでじぶんが押し負けるのは分かっていたし、何より相手を傷付けたくない。

こればかりは、仕事だからと言って割りきることもできなかった。

いわゆる「愛のムチ」が振れなかったのだ。

 

だったら、もっと相手を気遣いながら、効率的に指示する術を考えるしか無くて。

そしたら、案外簡単に答えに行き着いた。

 

人に適切な指示をしたいなら、

  • 誉めて
  • アドバイスして
  • 本人にやらせてみる

これだけで、必要最低限伝えたいことは伝わる。

 

そう。

褒めれば良いのだ。

 

しかも、これらをするだけで、相手からの警戒心を解くだけでなく、必要な指示を求めてくるようにもなる。

このやり方に切り替えてから、何度仕事でのコミュニケーションが取りやすくなったことか。

 

しかし残念ながら、今の世の中でこれを理解している大人は1割しかいないだろう。

しかも、そのうち実践できる人は、「アドバイスしながら人と関わる業務」の内の1割なのだから、これが本当にややこしい。

 

そもそも、日本の教育指導とは"コレ"である。

  1. どなって
  2. 徹底させて
  3. 「勝手に動くな」

これをすれば、相手には警戒され、萎縮させ、いざ本当に動いて欲しいときに動いてくれなくなる。

かつ、これを言う側も「相手を徹底的に嫌えば従ってくれる」と言う意味不明な精神論にたどり着くから嫌なのだ。

この教育こそが、今を生きる子供たちにクソを食わせ、将来クソを吐き出させるのだといい加減社会には気づいて欲しい。

 

それに、「バカ」の定義はいったい何なのか?

学校で言うこと聞けなかった人なのか?

教科書に書いてあることが覚えられなかったやつなのか?

あるいはコミュニケーションの上手く取れなかった子なのか?

そんなすべてを指した上で、曖昧なまま「目的通りに動けない人=バカ」と呼んでいることに自覚している人はどれだけ居ることだろうか。

 

さっきも書いたように、この不謹慎な言葉が原因で命を絶ってしまう人は本当に多い。

 

もはや社会は指示もなく「バカを排除しろ」と言う無責任時代に突入してしまった。

しかも運悪く、好き嫌いでしか物事を判断できない大人たちが上に立った状態で。

 

バカに人権がないとは言わせない

世の人が「バカ」と呼び、上司の良し悪しに従えない人も「人間」だってことを、どれだけの人が理解していることか。

この記事を書いていて、かなり不思議に思った。

 

そもそも、この「バカ」と言う単語を無意識に使う人は、皆容赦がない。

「消えろ」「いなくなれ」「居るだけ邪魔」「なに言ってもクズ」「言うこと聞けない無能」などの言葉を一斉に使わんがごとく、「バカ」と言う言葉を怒鳴り声で使ってくれる。

しかも、これが相手の教育になると信じてくれてのことだ。

 

基本的に言葉の意味が分かっている人は、相手を面白おかしく言うときにだって「変態」だの「ストイック」だの、より具体的な表現を使うし、ふざけて言うことで本気じゃないことを示してくれる。

そもそもこう言う言葉を意図的に避けてくれる人格者だって存在するのだ。

 

改めて、すごく当たり前のことを書こう。

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まえ

「お前バカか?」って会社の人に言われたら、超ムカつくよね?

 

こういう言葉の重さは、信頼ベースのブログをやっていたから学べたことかもしれないし。

あるいは、じかに言われまくってじぶんが感じまくったから言えることでもある。

 

ぼくだって生きてる内に、身内や友達、同僚に何度、全力で「お前バカか?」と言われたか分からない。

その度にじぶんの感覚が麻痺し、その言葉に馴れていくじぶんを実感していた。

 

でもやっぱりバカと言われれば傷付くし。

相手の命を奪うかもしれない言葉を絶対言いたくないし。

何より、その言葉を平気で使う人たちを人として疑い、相手をバカにした会話に馴染める人たちの考え方を絶対に真似したくないと誓ったじぶんがいる。

 

だから、胸を張ってここに書こう。

 

「お前バカか?」と平然と言える人に告ぐ。

 

その言葉で相手か死ぬかもしれないこと、忘れてない?

 

少なくとも、ぼくは何度もその言葉で死にたくなったし。

他にも死にたいと思ってしまった人も多い。

 

社会がそうだから。

世間がそうだから。

そんなかってな認識が、誰かを苦しめている。

そんな個人の都合の良し悪しが、バカと呼ばれる人たちの居場所を奪っている。

 

そんなこと、人として許せない。

そんな想いを、一気につづらせて頂きました。

 

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