
どうも、だちまえ(@dashchan8318)です。
じぶんで言うのもなんですが、25歳でビジネス勧誘を受けたことは、
じぶんの人生を大きく変えるものがありました。
悪い意味で、かもしれませんが。
親に甘えた大学生がある日社会人になり。
社会人になってからパワハラを浴びるようになって。
そのパワハラから逃れるようにマルチに足を踏み入れて。
それを辞めた時に気付いたのは、
世間からの信頼の喪失と、別のことに使えたであろう貯金の喪失でした。
そんな状態で、もしかしたら今はもっと状況が悪くなっているかもしれませんが。
そんな状態でも、ぼくというアホウは不思議と楽しく生きてます。
これがもし大学生の心のままであれば、100回は「終わろう…」と思っていたことでしょうが。
そんな時、「何でそうやって前を向けるのか」と言われれば、
恐らく今回の記事のように答えると思います。
好きなことのために生きることは力となる
元々ぼくが人生の路頭に迷ったのは、やはり大学生活が終わった瞬間からでした。
そりゃあ、給料もらえるし、
好きに生活できるし、
ひとつの社会的地位に立てれば、それで人生満足できるんだろうなとばかり考えていたものですから。
しかし、そう好きにさせてくれないのが人間関係。
人間関係って皆様のご存知の通り、思い通りに動かないものです。
それを思い通りにさせようとするみんなの心が会社では渦巻くからこそ、そうした環境はややこしい。
都合通りに動かない下っ端が、いっぱしの給料もらえるのは許せない!

仕事が下手だからと、ぼくが毎日のように言われ続けたのがそれでした。
会社なんて、「居場所を作るために仕事を貰う」場所。
決して「お金をもらうために働く場所」ではなく、嫌な思いすることが分かっていながら、給料日まで会社にいる理由を作るための場所です。
いまだから言えるのは、それこそが固定給の会社の限界でしょう。
いくら頑張ったって、給料が増えるわけでもないですし。
そんな嫌な想いをしながら生き続けたのは、
やはり叶えたい願いがあったから。
- もっと嫌味を言われない生活がしたい。
- もっとガッツリ食いたい。
- もっと痩せたい。
- もっと褒められたい。
会社員の頃から持っていたその感情は、数年後にブログを始めたころにはさらに強くなり。
いまでは、そうした願いをかなえるために、じぶんで選ぶ力をこれ以上となく発揮できていることだと思います。
残念ながら、いくら幸せな生活のサンプルケースがあろうと、それを実現するのはじぶん。
だれもその願いを叶えてあげることは出来ないし、じぶんがかなえないと、だれもその願いが何なのか分かりません。
でも、ちっぽけな願いを少しづつこなしていくことが、「もっと大きな願いを叶えたい!」と言う想いに繋がることでしょう。
そうした、じぶんの知っているはずの願いをどれだけ成し遂げてきたか。
それこそが生きる理由に繋がり、明日を生きることに繋がるはずです。
願いをかなえるためには何をすべきか。何を変えるべきか。
それは、いかなる大きなチャレンジにおいても言えること。
成し遂げる過程そのものが、生きる活力として変わっていくことでしょうから。
ではでは!